神奈川県議会議員 鈴木ひでし 鶴見区選出 公明党

硫黄島視察

6月9日日曜日午前8時45分に厚木基地ターミナルに到着。午前9時45分、米軍が用意したB737に搭乗し、前総務政策常任委員会のメンバーと共に厚木基地を離れ硫黄島に向かった。

周りを見ると大和、厚木そして綾瀬等の厚木基地周辺の基地対策メンバーも搭乗しているのが分かった。

今回の視察は、空母艦載機による、夜間連続離着陸訓練(NLP)は平成3年に初めて硫黄島で行われ、近年では95%以上のNLPが硫黄島で実施されています。
厚木基地においては、平成13年度以降、平成19年5月にNLPが実施されましたが、それ以降は激しい騒音を発生させる空母艦載機によるNLPは、行なわれませんでした。
しかし平成24年5月空母の運用上の都合により出航が数日間遅れたために、厚木基地にて昼夜を問わない空母艦載機離着陸訓練が実施され、基地周辺へ住民へ深刻な騒音被害を及ぼしました。
県および基地周辺各市は、訓練の中止等を求めて、日米両政府へ要請を行いましたが、訓練は20日から24日まで3日間続けられました。
県では厚木基地周辺の航空機騒音の実態を把握するため、11カ所に自動記録騒音計を設置し、昭和44年12月以降、常時観測調査を続けております。

滑走路北側から北約1km地点では、前述の3日間で70デシベル以上の騒音が782回に及びました。また空母艦載機着陸訓練に対する苦情は、3日間で2,700件にのぼりました。
このような状況を見てきた私にとって、県民の1人として、また政治家として、米軍が実際に行う艦載機離着陸訓練そのものを実際に視察することによって、少しでも基地の騒音問題に貢献したいとの思いから参加した次第です。

当日は日曜日ということもあり地元鶴見のイベントへのご招待をいただいていたが、このようなチャンスは二度とないと思い、欠席させていただいた。申し訳ない思いでいっぱいです。

さて硫黄島には午前11時45分、厚木基地から約1時間45分の飛行時間で到着した。
硫黄島は東京から約1,250キロ南に離れた島で、1543年レナード・トーレスにより発見され、1784年キャプテン・クックの部下、ゴアが命名したといわれている。

明治24年に日本の領土となり、昭和8年から12年にかけて旧海軍飛行隊が設置されたが、先の大戦において昭和20年2月から3月にかけての攻防戦に敗れ、終戦後、昭和43年まで米軍支配下となっていた。

昭和43年6月の日米協定により返還され、海上自衛隊の硫黄島航空基地分遣隊が発足。平成4年4月に現在の硫黄島航空基地隊となり、航空機に対する各種支援業務及び救難ヘリコプターによる洋上救難活動報告待っているとのことである。(出典:海上自衛隊厚木航空基地公式サイト)

到着後、すぐにサンドイッチを食べながらのワーキングランチになり、日本の硫黄島基地の中心者並びに厚木基地の米軍の中心者からの挨拶があった。
約1時間半にわたって米軍のタッチ&ゴー含めた飛行訓練の内容のプレゼンテーションを受けた。

要するにジョージワシントンなどの航空母艦に着陸するFA18戦闘攻撃機は相当な技術が要求される。およそ航空母艦300メートルの長さの内にジェット機を着陸させなければならないからだ。その訓練並びに検定を行っているというのが陸上艦載機離着陸訓練(FCLP)だ。FA18戦闘攻撃機の詳細のプレゼンテーションを受けた後、いよいよFCLPの実際の現場を視察した。

現場の視察終了後、マイクロバスに乗車し、上陸海岸、摺鉢山、天山慰霊碑等を見学。多くの英霊に対し心からの追善供養を行った。
写真の数々をご覧ください。




午後5時に夕食をご馳走になり6時過ぎに夜のFCLPの視察を行った。
とにもかくにもおよそ時速200キロのスピードで着陸してくるジェット機を目の当たりにし、すさまじいジェット機の風とその爆音に体全身が震える思いをしました。滑走路の10メートル手前でジェット機を見る体験はもう二度とないかもしれないが、これだけの爆音をうけた厚木基地周辺の皆様方の騒音に対するご苦労を自ら体験した次第だ。

厚木基地には10時に到着したが、大戦でお亡くなりになられた英霊の方々とジェット機の爆音が数日間、頭から離れない日々を経験しました。

実際のFCLP訓練はこちらの映像をご覧ください。

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難しい基地対策問題。この経験を生かし何らかの貢献をしなければと誓い、厚木基地を後にした。